2005年9月16日
愛のかたちについて。。。
午前中に珍しくお出かけしたので、
hinaがぐっすりな感じのお昼寝中。。。
縫い物をしながら考えました★
愛のかたちについて。。。
かたち・かたち・色。。。かたち。
物には色やかたちがあって、感情にもある気もする・・・?
愛しているはずなのに、上手くいかない。
表現できない、伝わらない。
自分自身の愛のかたちを求めて、納得いかない。
子供を育てていると、そんな日もあったりするもの。。。みたい。
恋愛のほうがシンプルでわかりやすい。
相思相愛か、そうでないか。。。
もしくは、どっちの愛が大きいか小さいか。。。
バランスが崩れたらおしまい。
自分の愛が絶大に大きくても、それでバランスが取れていればOK☆
育児はそうは行かない。
バランスが悪くても、投げ出すわけにはいかないもの。
それが我が子。
私は全然考えたことがなかったので、驚いたのだけど。
「子供の愛しかた」と言うようなタイトルの本が並んでいた。。。
「え???」
いっぱいありますね。
考えたことがないと言うのは、愛情いっぱい♪
いつでも最高ママ、フル回転!
という訳ではなくて、むしろ逆???
私は私の持っているものしか、与えられないし無理しても・・・ねえ?
というタイプのママなので、懸命な育児に取り組んでいないということ。
だけど、みんな頑張ってるんだな。。
なんて人事のようではありますが、思いました。
自分を「ママ」という型の中で、できる限り以上の努力を。。。
なぜ、そこまで。。。?
愛にかたちはないだろう。
ママだって、一人の人間よ☆
というのには、全面的には賛同できない私ですが、
まあ、楽しみも必要♪とは思います。
でも、そこをメインにしてしまうと逆に育児って、辛くないかい?
子供って、大人を振り回して生きていく生き物みたいだし。。。
私は、別に強行するほどの楽しみもないのでそう思えるのだが。。。
愛にかたちはないだろう。
表現を無理にする必要はないでしょう?
そこにあるという事実だけで、十分だよ。
育児に限らず、私が求めるとしたらと考えた。
過剰な表現は、かえって戸惑うものだし。
そこに愛があると、確かな人は自ずとそういう態度をとっている。
だから、相手に不安がない。
私が恋人なら、子供なら・・・・。
相手に求める愛に、形はいらないな。。。
本の内容は読んでいない。
暴れるhinaを抱いて、通りかかっただけ。
どんなことが書いてあるのだろう?
愛せなきゃ、愛しかたを知ったところで出来ないんじゃ。。。
愛してないって思っていても、考えて悩む時点でそれが愛。
その愛は、きっと子供に伝わっているよ。
愛して欲しい人の愛情は、米粒ほどのものでも拾って歩く。
それが人間。
米粒ほどでも必要なら、目を凝らして拾うだろうな。。。
私もそういうときがあった。
子供時代も。恋人時代も。。。
「もっと欲しい!」
という気持ちと、
「一粒あった☆」
という喜び。
たとえ、そこらじゅうに転がっていたって、一粒づつ拾うのだろうしね。。。
その一粒が、今この瞬間必要!って。
愛情下手な私だけど、その一粒を見逃さずにいたい。
子供が探している一粒を、いつも手渡せたらいい。
そこらじゅうになくたって、いつもいいタイミングを目指そう!
「あれえ~ないなあ???」
「ハイ、どうぞ♪」
ってね。
私の愛は、そんな感じでいいや☆
と、解決する頃刺繍も終わっていました♪
ちょっと、答えを刺繍に合わせたので急いだかも。。。
また、ゆっくり考えよう。
□今日何となく考えたこと
アップルパイ
今日のおやつにアップルパイ☆
シナモン入れ忘れの、アップルパイ。。。
シナモンて、苦手でも何でもアップルパイには必需品!
ということを学ぶ。
殺してやりたいほど憎い奴でも、
朝のコーヒーを淹れてくれたら、全て水に流す☆
上記の本意外でも気になるものが。。。
「愛される自分を造る」系。。。
幸せになる方法とか、そういうの。。。
本当にあるなら、教えて欲しい。
どうせ、自分が変われとかそういうのでしょうが・・・。
変われないし、変わりたくないし・・・。
成長はしてくつもりだけど、年取るとともにかなりスローペース。
投稿者 さゆりん : 22:59 | コメント (6) | トラックバック
2005年9月15日
放浪癖?
秋がそこに来ている!
という知らせの風が吹きました。
よく晴れた、暖かい日の冷たい風が。。。
そして、秋が去っていくサイン。
散歩で見つけたヒメリンゴの木。
夏の途中で、実がついているのをShioと発見して以来
毎日のように赤く色づくのを待ちわびて。。。
今日hinaとの散歩で、少し赤くなっているのを発見。
太陽に近いほうから色づいていく。
自然の原理。。。
Shioが帰るのを待って、バス停から直接見に行く。
もう少し赤くなったら、ひとつおすそ分けしてもらおうね。
そしたら、もうすぐ冬だよ。
なんて話しながら。。。
こういうときに、私の性分。
「どこか遠くに行きたいなあ。。。」
旅行ではなく、移り住んでいく。
待ち遠しい気持ちが好きで、待ち遠しいままこの場を去りたい。
そして、ずーっと待っていたい★
時々、遠くはなれたところから
「あのヒメリンゴ。もう、赤く色づいたかしら?」
なんて考えたり。。。
昔は本当にそんなことをしていた。
ふらりと出かけて、好きなところに何ヶ月も住んでいたり。
「私の人生って、ずっとこうかもしれないな。。」
なんて、思ったりしてたけど。。。
ひょんなことから、現実派の夫と結婚することになり人生が少しまともになった。
結婚前は、その夫からもふらりと逃げていたりもしたけど。
現実的でしつこい夫のおかげで、まあ人並みに生活している。
わたしは、あまり人や物に執着がないので
大事なものさえあれば、何もなくてもふらふら出かけられる。
今なら、二人の子供。
両手に子供の手をとって、ふらふら秋とともに出かけたくなる。
やらないけどね☆
許される時期は、もう過ぎたって。
知ってるから。
□今日何となく考えたこと
子供のためって、よく考えないと自分のためだったりして怖い。
「子供のためにこうした!」
ってのは、自分の用意した言い訳であること多数。
私は夫に優しくないのだが、優しくなれない理由は多分、
ない。
基本的に、男の人に優しくない。わたし。
優しくされたい男の人は、優しいい人と付き合えばいいと思うのだが。。。
□今日Shioに嫌がられたこと
アンパンマンのビデオを見ていて
「アンパンマンは焼き立てじゃないと弱いな。」
といったら、「ちがう!」
と言って、新しい顔にならないビデオを持ってきた。
「お!今日は焼き立てか?」
「ちがうよ!強いんだよ、いつもー!」
次のお話も、まあまあいいところまでいったが
顔がゆがんで力がでない~と、情けないことを言うので
「ちっ!昨日の賞味期限ギリギリパンかぁ★」
と言ったら、顔を真っ赤にして怒ってた。
しばらく続けるつもり。
うししし♪
投稿者 さゆりん : 23:41 | コメント (2) | トラックバック
2005年9月13日
知識の泉?
私は物をあまり知らない。
○○は、昔□■だった。とかそういうこと。。。
最新情報にも疎いし、芸能関係は全くもってわからない。
興味がないわけではない。
人から聞けば楽しいし、たまたま知る機会に出会うとこれまた嬉しい。
でも、わざわざそれを調べたりはしない。
知識欲 ・・・ が無い?
たくさんのことを知ることが、良い事だと思っていない。
人のことは特にそう。
むしろ知りたくない。
自分が出会って感じたことが、全てでありたい。
「あの人って、○○なんだってえ~」
というのが苦手。
身の回りのことをよく調べてる人を、尊敬している。
自分が使うものを厳選している人。
「これはどうなんだろう?」という疑問の元に、行動している人。
「これを買おうか、あっちにしようか迷ったけど、調べたらこっちのほうがいいって!」
って。頼もしい★
こういう人のいいなあ・・・と思うところは、感想があるところ。
「やっぱり良かったよ♪」
「私には合わなかった;」など。。。
最後は自分で決めるところ。
私がいやだな。。。と思う知識欲は違う。
何でもかんでも知りたがる。
知っていれば安心★という人。
情報や知識だけで、会話を成立させようとする。
「あれって、○○なんだよ。知ってた?」
「知らない。」
終了!
もしくはエンドレス・・・・
だからなに?
な会話。
そこに感想が無い。
一番嫌なのは、人の好むものを嗅ぎまわること。
「前に読んでたあの本の作家、あの人って○○なんだってね。」
・・・・。
情報は便利。
知らなきゃいけないこともたくさんある。
でも、知らなくてもいいことも同じだけあると思う。
戦争があった事実は知らなきゃいけない。
あの人の忌まわしい過去は知らなくてもいい。
何でもかんでも知ってればいいってものではない。。。
わたしは、好きな作家のものはこの世に出ている限り集めて読む。
その人の書いたものならば、たった3行の文でも読んでみたい。
でも、その人にまつわることには興味が無い。
評論や、生い立ち。
本人が書いた文章に惚れて、その人の世界が好きで共鳴したい。
誰かが書いた、中傷や評価なんて関係ない。
むしろ知りたくない。
私の評価は、私だけのもので、誰かの意見ではないから。
揺らぐものでもないから、知らなくていい。
もしも手にとっても、自分の目で見たものならば、避けることも出来る。
「こんな感じ方もあるのだな。。」と、消化することも。
でも、強引に耳から入ってきた、ただの情報は取り消せないし、消化できない。
「なになにちゃんが、あなたのこと○○って言ってたよ~★ムカつくねえ!」
おまえがな!
というのと同じだと思うのだけど、どうだろう???
HPや2チャンネルなんかで、すぐに得る情報ばかりを口にする人が苦手。
聞いてるのが辛い。。。
だからあ~「だから何なんだよお!!!」
情報だけを得て知識を持ったって、人の心を覗かねば意味はあるまい。
戦争の年表や、地理をいくら知っていたって、
人々の苦しみや、悲惨な現実。
暮らしぶりを知らねば、自分自身に得るものなど無いだろう。
何故気づかない?
何故興味がわかない?
真理はひとつ。
といった友人がいたが、素晴らしい言葉をたくさん持っている人だったが、
全てが他人の言葉だった。
空振りしてく素晴らしい言葉が、素晴らしいだけに悲しく空虚だった。
思想家は、思想を持つから素晴らしいんだよ。
例え、間違っていたとしても。
自分の言葉で話すから、人をひきつけるのだよ。
思想かぶれは、思想家ではないのだよ。
彼に言いたくて、言えなかった言葉。
■今日何となく考えたこと
秋が着々と近づいて、離れていこうとしている。
秋を感じる頃にはもう冬。。。
今年こそは、足跡を拾って歩かねば。。。
母になってよかったこと。
いつでも笑顔に出会おうとすれば、出会えること。
私が出会いたいと思う気持ちが大事。
Shioは10歳にあこがれている。
何でもできるようになると思ってる。
何でもできるようになりたいんだなあ・・・。
投稿者 さゆりん : 01:48 | コメント (6) | トラックバック
2005年9月11日
神経質??
私はたまに「神経質」と言われる。。。
そうかなあ?
と思うのだけど、どうだろう???
わりと、そうだな。と思うところもあるけど、
違うと思う。というところもある。
そうかな?
と思うところは、言葉とか悩みとか心理的な部分だけど、
これって、みんなそうなんじゃ・・・?
子供がいたら、多少は神経大目に使うと思うし。。。
あとは、床掃除くらいだけど。。。
悪いことではないし・・。
違うところは、
掃除は好きだけど、散らかってるの平気だし。
たんすの中とか整理するのは苦手。。。
「まあ、いいや。」が多いところも、違うと思う要因。
多分「どうしてそういう言い方するの?」と言うからだと思う。
言葉に繊細(?)なのだ。
でも、みんなにそうではないし、本当にそういう言い方をする人に言うのだ。
何となくチクリと胸に刺さる言葉。ひっかかる。。。
今、それを言うか?みたいな。。。
純粋に、何故?と思ってしまう言葉。。。
これが神経質と言われる原因。
結構色々な人に言われる。
身近な人。友達にも言われたことある。
それは、「会社で、自分のデスクのゴミ箱に他の人がゴミを入れたのが気に障る。」
と言ったら、言われた。
確かにそうかな。。。と思う。
今でも、多分嫌だな。
自分のゴミは自分のゴミ箱入れろよ!
って、思う。
なんだか一日気になって、つい捨てに行ってしまったものだ。。。
そういう部分もあるのも確か☆
でも、私は思うのだが
子育て中の母親に、言ってはいけない言葉の一つだと思う。
「神経質だよ。」
この一言で、どれだけ心が滅入るか。。。
主婦意外には解らないと思う。
こんな事いわれて、平気でいられるママはそういない。
この一言でノイローゼになる人だっているのだ。
実際そうでも仕方がないし、そう思われても良い。影でならいってもいい。
「あの人神経質だよね。」
でも、本人に言っちゃいけない。
だって、理由があるのだから。
子供を育てる・・・小さな命を守る大きな重責に、日々耐えている。
そのひとに、「神経質」の一言で片付くような問題は何一つないと思う。
言う人だって、何の得もなしにただ傷つけてるだけだ。
まあ、私は子育てとは関係なしに言われるのだけど。
でも気になる一言ではある。。。
そういわれても、何の解決にもならないから・・・。
言葉に対しての疑問の答えが、私が神経質。。。
これって、答えてないし。
と、くどくど思うのが神経質って事???
■今日何となく考えたこと
一人っ子の友達が多い。。。
私は嫌いじゃない。彼女たちの持ってる信念が。。。
兄弟のいる人よりも、なんだか筋が通ってる人。
そうでない人も要るけど、兄弟がいたってそういう人も要る。
Shioのバレエが、かなり大詰め☆
このレッスン量に耐えられるか、自分自身が心配。。。
今日の先生怖かったぁ~☆
子供には、届く言葉と届かない言葉がある。
届く言葉も、まくし立てて言っては届かない。。。
子供がいない人にはわからないのかも。。。
投稿者 さゆりん : 03:21 | コメント (8) | トラックバック
2005年9月 9日
苦い思い
今、私の中に嫌な感情がある。。。
どうしても振り払えない思い。
私は、自分の感じた気持ちを消化するのが苦手。
友達には、嫌な事は寝て忘れる!
という人もいるのだが。。。
私はそれが何でか出来ない、というかそれ本当?
って感じだ。。。そんなことできるのか?
私が嫌なのは、嫌だった事柄というよりも、それを消化できないことが嫌。
意味のわからない暴言や、理解できない不可解な行動。
そういうものが、全然自分の中で解決できない。
二度と会わない人ならば、「そういう人なんだなあ・・・」
という消化の仕方も出来るのだが、定期的に合う知人や身内はかなりきつい。
「どうして、そういうことを言うんだろう?」
「何でそんなことをされなくてはいけないのか???」
考えても、考えても無理!
”そういう人”
と思ったところで、これから先も我慢するのか?
と思って気が滅入る。。。
だから改善策を考えるけど、見つからないし上手くいかない。
なぜなら相手が”そういう人”だから。。。
悔しい思いがこみ上げて、泣きたくなる。
いつもそう。
わかっているのに避けられない。。。
っくっそー!
この思いを忘れようとすると、心の奥へ奥へとしまいこむことになる。
もともと消化できないので、私の場合は身体に出てしまう。
”胃が痛む””瞼がピクピクする”このどちらか。。。
会わずにすめば、それが一番いいのだけど、そういうわけにも行かない相手。
だから、一番の解決法は「人に話す」
怒りをこめて、面白おかしく。。。
がはははは!
と、笑ってくれると満足。
私の嫌な思いが、笑いの種になった♪
こうして、消化していく思い・苦しみ。
日々の小さな嬉しいことの中で、怒りや苦しみが小さくなってく。
木蓮のつぼみが花咲く頃には、忘れていたい。
■今日何となく考えたこと
離婚した人の話を聞いたけど、わたしの母が
「離婚するのはお互い悪い。一方的に悪い時は離婚しない」
と言っていた。
なるほどなあ・・・。
辛抱足りないからそうなるらしい。
必ず思いが届くなら、何度でも言うけれど。
言っても仕方ないことは、諦めるほかないのだろうか?
したばかり、手元ばかり見ている人は
人の気持ちを考えない人。
私調べ★