2006年9月14日

いつか旅に出よう。。。

友達が、旅に一緒に行こうね。

といった。

いつか必ず、絶対に行こう。

とおもった。

tabinidetai 遠い道のりだけど、いつか必ず。

私たちは、旅に出るための旅の途中だと思う・・・。

人は時として、自分を理解してもらえないことに苦しむ。
その苦しみは深くて、探りようもないほどに。
逃げ場も見当たらず、どこにも明かりが見えなくて
わらをも掴む気持ちで小さな優しさを探す。

掴んでは沈むようなものだけど・・・。

私はわらになりたい。

沈みそうな心の、一筋にうっすらと移る細い頼りないわらのように。
しかし、それはいつも無数に浮いている。
掴もうとすれば、沈みかけた身体で水面を見上げればいつも
それは浮かんでいる。

その全身を支えることはもちろん出来ない。
ただ、掴んだという実感を残すだけのもの。

そういうものが、「生きる」ということに必要不可欠に思う。

理解を求めて、無数の言葉を発する。
でも、何一つ伝わらない。
相手の言葉も自らに届かない。

言葉というものは、自分の思いの全てを表現するにはあまりに足りないから。

100の想いを届けるために、10000の言葉で試しても
どれほどの努力と学習をもってしても、50がいいところだ。

想いは複雑すぎる。

上手いこと50の思いをぶつけることが出来ても、
相手の能力次第で・・・。
その50を受け取ることが出来るかできないかというところだろう。

100の内25が相手に届く限界の数値ということ。

25しか伝わらない。
1/4しか思いが伝わらない。

でも、相手の言葉から自分が受け取れるものは1/4だと理解したら。。。

それは100理解するのに限りなく近い。

相手の言葉の中に、あと3/4の意味がある。
そう思うことが思いやりだと。。。
1/4が言葉で、3/4は思いやり。
人とともに生きるとは、そういうものであるはずだと思う。

その1/4を伝える努力をなくしてしまうわけには行かない。
苦しくても、辛くても1/4のために10000の言葉を探る努力。
その努力を支えるわらになりたい。

いくつでも、何度でも・・・いつでもどこでも。。。
私は彼女達のわらとなってどこにでも現れて。

そして、いつか私たちの間に言葉が要らなくなったら。。。

旅に出たい。

南の島の海を見に、必ず行こう。

そのための今は旅の途中だ。

ゆっくり行こう。
楽しみは先のほうがいい。

山あり谷ありで行こう。
そのほうが、思い出話が楽しい。

何も持たずに行こう。
そのために、今もって居るものを育てよう。

もう、私たちに役目が終わったら。

必ず海を見に行こう。

その旅は、終わりがなくってもかまわない。
って言うほどに、今私たちは1万もの10万もの・・・
もっと無限大に言葉を探ろう。

逃げたいときもある。
泣きたいときもある。

逃げよう。
泣こう。

そして、戻ろう。

いつもいつも、逃げ場は自分の中に。

そのために私がいる。

いつもいつも、あなたの中のわらとして。
私はいるよ。

投稿者 さゆりん : 23:19 | コメント (7) | トラックバック

2006年6月26日

泣いていい。

金曜日の深夜。

私は山梨に住む友達Mちゃんに間違いメールを送ってしまった。 

2006-6-19 陽は暮れて。。。

メールも久々だったので、ごめんねと近況を伺うメールを送ったのが土曜日。

神様がいるとしたら、私はこの間違いメールが
私とMちゃんの友情を知ってのことだと思った。

彼女は私の想像もつかないような辛い状況にいたから。。。

好きになってはいけない相手。

そういう人がいると思いますか?

奥さんがいる相手。
子供がいる相手。
自分を憎んでいる相手。
自分が憎むべき相手。

どれも、ピンとこないのだけど。。。

やっぱり、家庭がある相手を好きになるのは・・・身勝手?

好きになるだけならいい。

相手も自分を好きになってしまったら。。。

誰に謝ればいいの?

そして、その相手が死んでしまったら・・・。
誰に打ち明けられるの?

Mちゃんは、10年前好きな人がいた。
彼には奥さんと子供がいて、Mちゃんはその恋を打ち明けずに諦めた。
彼のいる仕事場もやめた。

同じ系列の違う職場に3年前から契約社員として入社したMちゃん。

彼には会わないはずだった。

なのに、何のいたずらか彼はMちゃんの職場に移動してきたのだ。

その想いも10年前。
少しは懐かしい気持ちもあったかもしれないけど、お互いに大人になって
気の許せる仕事仲間だった。

でも、恋は突然始まるものだし・・・。

彼に打ち明けられたら、拒む理由も見えなくなったのかもしれない。。。

春にMちゃんと会った時、彼のことは聞かなかった。
あの時はまだ、始まっていなかった。

そのすぐ後に付き合うようになったという。

そして、先月彼は事故とも自殺ともいえない死を遂げた。

 

 

春にお酒を飲みながら話した。

「いい男はみんな結婚してる。”好き”といわれたって、なかなか踏み込めない年齢になったよね。」

私達は同級生。

もう30歳。

不倫なんて今からするには、かなり勇気がいる。

「もう結婚は出来ないかもしれないって覚悟しないと、付き合えないよね。」

Mちゃんは言った。

自分の将来のこともそうだし、たくさんの覚悟が必要。
思い切りだけで動けないくらい、賢くなったから・・・って。

それでも、Mちゃんは彼と付き合った。
色んな覚悟が出来てのことだと思う。

「何の夢も見てなかった。」

って、今日のMちゃんは言っていた。

人を好きになって、相手も好きになってくれて。
何の夢も見れない。
それでも好きだったなんて。。。

私は妻の立場になってから6年。
今は獲られる立場だけど、そんな想いで夫を誰かが好きになったなら
私は申し訳ないというくらい、安楽の立場だな。

好きになってしまったら仕方ない。

恋に落ちたら おしまい。

どんなことも覚悟していたMちゃん。

今日、近況のメールを見て慌てて私が電話するまで
誰にも話せずにいた。

電話口で「もしもし。。。」も言えずに泣いていた。

彼のことや、亡くなったときのこと仕事のこと。。。
色々聞いたけど、私はうなずくばかりだった。

「生きてる彼と別れたかった。」

と言ったMちゃん。

彼とのことを後悔していない強さに、正直驚いた。

本当にたくさんの覚悟をしていたんだな。

 

泣いていいよ。

落ち込めるだけ落ち込みなよ。

元気になろうなんて、思わないほうがいいよ。

人間、ここまで落ち込めるのかって呆れるくらい落ち込みな。

生きてるって思いたいなら、1年や2年は思ってていいよ。

忘れようなんて、思わないほうがいいよ。

でも、お酒に逃げたりしちゃ駄目だよ。

苦しいときは苦しい自分に向き合ったほうがいい。

強くならなくていいから、苦しいことに苦しいってもがいたほうがいい。

もしも、少しそんな自分に呆れたりばかばかしいなって思えるときがきたら・・・。

東京においでよ。

もう、何もかも捨てておいで。

Mちゃんはずっと辛い思いをしてきた。
彼以外の恋人のことも、家庭のことも学校のことも。
「こんなはずじゃなかったのに。」
って言うようなことがたくさんあったけど、一度もめげなかった。
だから、もういいよ。

いい思い出もない、そんな辛いときに話せる人がいない土地も
全部捨てていいよ。

新しくはなれないかもしれないけど、少しは気がまぎれるよ。

「奥さんは、許せないでしょう?」

私に聞くMちゃん。

「さあ・・・正直わからないな。。。でも私だったら言うことは決まってるな。」

自分を責めないでね。

生きていることのほうが、ずっと辛くて先が長い。

どんな想いで過ごすかはそれぞれだけど、乗り越えなくてはいけない壁もそれぞれだから
同じことが私に起こっても、私は許せるか許せないかはわからなけど
彼女が自分を責めるようなことがあったら、それは間違いだって思う。

 

好きになってはいけない相手。

 

自分が幸せに出来ない相手。

自分を幸せに出来ない相手。

Mちゃんは、この数ヶ月間が幸せだった。と言った。

私は否定できなかった。

投稿者 さゆりん : 22:54 | コメント (12) | トラックバック

2006年5月 3日

憂い5月☆

とうとう5月。

わたしにとっては、色々と考えることが多い月。
誕生日というだけで、昔は特別な月だったけど。。。
今は、それ以上の想いがあるきがする。

DSC03331 無邪気であること。。。

この時期は5月病なんて言葉があるとおり、人は何らかの憂鬱を抱えるのでは?

わたしが抱える憂鬱。

それは人から取ってはなんでもなく、たいした事件でもないことだけど。
わたしにとっては墓に入るまで引きずるくらいの想いだったりもする。

わたしは人に何か助言が出来るほど、何かに優れているわけではない。
どちらかというと、愚者の類だ。

わたしは思う。

生きていくという場面で、
たびたび起こる、自意識の喧騒。
そういうものを目の当たりにしたときに、
墓まで自意識を持っていく気なのか?

私自身にも、同じように問いかける。

何が何でも自分を押し通そうとするときに、
人は目的を失いやすい。

わたしは5月になると、どう生きるか。
どう、死んでいくのか。

ということを考える。

いつも、大体答えは似ているもので。

どう生きるかというのは、あまり問題ではない。
それは、わたしが死んだときに残した者たちが考えればいいことだ。
どう、死んで行くのかということが、私自身には大事なのではないか?

どんな死に方をいつしても、わたしは精一杯のことを残したのか?

残された者たちが、私の行き方を決めるほどの何かを
わたしは残せたのであろうか?

そんなことを考えます。

人はわがままに生きようとするけれど、
わたしもわがままに生きていこうとしているけれど。

わがままの中に、何か他者に向けるメッセージがあるのか?

わたしは、それが一番大事だと思うようになった。

本当にわがままに生きていい人なんていない。
だからこそ、人のわがままを許さなくては。
どれだけのわがままを許してもらったかで、わたしは生き方を見直せると思う。
どれだけの人を許し、どれだけの人に許されたか。

わたしは出来るなら、同じ数だけの人に許し許されて生きて生きたい。

一は一でしかなく、人は一人で生まれでて死んでいくけれども
それが何年であろうと、何十年であろうと
私自身が残すものが殆ど変わらないであって欲しい。

いま、精一杯の出会いと出来事を大切にしていくことが
何よりも大事で・・・。

愚かであるということを、いつも見つめている人だあろうと思う。

決して、人を愚かと思わずに。

そうして、わたしがいつか死を迎えたときには
だれかれかまわず、わたしのわがままな人生を笑って欲しい。

それが、わたしの生きる憂鬱だ。

憂鬱とは、希望が隠された心の落とし穴だと思う。

投稿者 さゆりん : 02:39 | コメント (5) | トラックバック

2006年4月10日

普通になりたい。。。

去年の秋から追いかけ続けたヒメリンゴの木。
気がつけば、かわいらしい花でいっぱいでした。

DSC03184

DSC03183

ピンクの蕾に白い花。

こんなことで、ふわりと心が舞い上がります。
そんな今日、新しいカテゴリー「メッセージ」を作りました。

私が思う「痛み」について書いていきたいな。。。と。
もしも、少しでも誰かの心の痛みに届いたら・・・。
私の痛みもまんざらではないかな・・・と。

私は小学校入学からShioを出産した25歳まで、多分・・・ずっと
「普通になりたかった。」

普通が何なのかもわからないで生きてきた。

でもね。
Shioを産むまで悩んでいたというのも。。。
私はそれまで必死で探していた。
私が普通じゃないところ。
誰にも普通といわれなかった理由。
その自分に自信が持てそうでもてなくて。
苦しかった。

子供を産んでやっとわかったのだ。

「ふつう」なんて、いくらでも作り変えられる。

私は私の中ではずっとふつうの私だったし、これからもそうだ。
多数決で言ったら小数に入ることばかりだけど、今はいろんなことが変わろうとしている時代。
昔は少数派だった「働く母親」だって、今は社会的にも認められて
日本の経済ではなくてはならない原動力だ。

世代やクラス、グループで「ふつう」は変化するように
人の人格にルールはあっても「ふつう」なんてない。

「普通は母親が。。。」
「普通の家庭なら。。。」

子供を持つと色々と意気地なしになって、模範的な母親になろうとするけれど
自分が嫌なことはしなくていいと思う。
やらなきゃいけないことなんて、何にもない。
「やったほうがいい事」はたくさんあっても、
「絶対にやってはいけないこと」はあっても。。。。

こうでなくてはいけない!という母親象なんて、絶対にない。

「かわいいと思わなくちゃいけない。」

なんて、そんなことはない。
かわいいと思うことだけが愛じゃない。
「普通のママなら。。。こんなこと平気で出来るのに。」
そんなことで心を痛めているよりも、
やりたくないこと、出来ないことは諦めて
楽しいこと、自分にしか出来ないことをやればいい。

男が女に「ふつうの母」を押し付けないで欲しい。
なぜならそれは、たいていがその男の母・もしくは理想の母だからだ。
母親に普通も異常もない。
異常な母を作り出すのは、たいていが環境や夫だ。
母親になった女を、責めないで欲しいのだ。

子供の幸せを思うなら、なおさらだ。

どんなことがあったって、どんな形だったとしても
それが愛情なら、それでいい。
自信を持てばいい。

「普通の母親」なんて、資本主義が作り上げた勝手な妄想だ。

だまされるな!頑張れ!
我が子を愛している自分を信じて。
色んな悩みや情報に隠れて見えなくなったとしても、
そこにほんの少しでも自分で愛を見つけられたなら、
そんな自分こそが最高の母と信じて欲しい。

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ちょっと、色々あって。。。
熱く語ってみました^^;

まあ、私は本当に妻として普通じゃないので・・・・。
いいわけです。

そんな私の言葉でも、誰かの心に届いたなら幸いです☆

投稿者 さゆりん : 00:06 | コメント (12) | トラックバック