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2005年10月10日

許しあうということ。。。

葉月さんのBlogの記事で、素晴らしいものがあったので
コメントしたのですが、書ききれませんでした。。。

文章力の限界を感じる私・・・。

許容って、難しいことかもしれないけど
許せば、自分も許される存在になる気がする。

という冒頭から始まる素晴らしい、 記事でした。

コメントでは書ききれなかった、私の思いを書きたいと思います。
「許容」

葉月さんの文章を読んで、 改めて考えました。

私は末っ子長女で、 厳しい両親に育てられたものの
いつも許される立場にあったと思う。。。
「妹だから」「女の子だから」「病弱だから」・・・etc

わがままだったし、傲慢だったし、 だらしなかった。
今もあんまり変わらないけど、叱られながら許されてきたんだな。。。
と、改めて感じる。

だからか、人に対して感じる許容が・・・何だか薄い私。

「私が人を許すのではなくて、人が私を許して来てくれた。」

昔から好きなことしか出来ない私。
嫌いなことは、ぱっぱと適当に終わらせて
好きなことだけ、好きなものだけに没頭して暮らしてきた。

「何も身にならんと、専業主婦になりよる?」

って、親戚の伯母さんに心配されたり。

「絶対に結婚なんて縁がなかとおもてたわ~」

って、従姉にちくりとわがまま指摘されたり。。。

でも、それさえも両親に許されて母になれた。

母親になった今でも、子供たちを許すというよりは
許されている私。

「ママは、お掃除が好きだから。今日はベランダのお掃除がしたい。」
→ベランダで遊ぼう。

「ママは、自転車よりも歩くのが好きだから今日はお散歩にしよう。」
→徒歩圏内で遊ぶか、もしくは強制的に徒歩。

それでも、子供たちは「ママが大好き☆」なんていってくれるから・・・
みんなに甘えている私。。。

で、私が許した人たちって誰だろう。。。
わたしは誰も許したりはしてこなかった。
だって、いつも許されて感謝してきた人たちばかりだから。

「こいつ!腹立つ~!!!ムキイイ☆」

ってことは、しょっちゅう。
でも、自分の中のたった一瞬の気持ち。
次の瞬間には、自分に腹立ててる。
そして、自分で自分に納得している。

自分自身を自虐的にせめて、それを口にする人もいる。
そこには全く共感できないし、同情も出来なかった。
今も出来ない。

自分自身を知って、自分を許せなければ
人に許してもらったりは出来ない。
許してもらうことと、甘えることは全く別だと思う。

ストレートに甘える人が好き。
でも、「わたしなんて。」や「どうせ」っていう前振りで
甘えてくる人は嫌。
どうにもしてあげられないと感じる。

「ごめんね。」
が多い友達がいる。
私は彼女が大好きで、謝られることなんて何一つ無いと思っているのに。
いつも謝っている彼女。
でも、彼女が謝っているのは自分自身になんだと気がついた。
そうして、彼女も自分を許している。
だから、わたしは彼女を変わらずに好きでいる。
わたしに本気で謝っているのなら、友達でいられない。
わたしが惨め過ぎる。。。

人に対して持つ感情に、ベールを張る相手と張らない相手がいる。

私自身はとても不器用で、
大好きになると、その存在だけで満足してしまう。
友達はみんなそうだ。
友達の中で、犯罪者が出たとしてもわたしは変わらず
彼女・彼たちを好きでいる自信がある。
相手が何者でもいい。

相手がわたしを好きかも関係なく。。。

わたしが相手を好きという事実だけでいい。

殻の中まで、全て見せても大丈夫。
だって、嫌われたって好きだから。

これが許すということならば、私は全ての友人たちを許しているのだろうか?

ならば、両親に感謝しなくてはいけない。
叱りながら、許し続けてくれたこと。

叱らなくても、許されなくても
どっちか無くてもダメだったと思う。
今の私が、わたしで満足してるから
叱ってくれたことも感謝。
許し続けてくれたことにも感謝。

こうして、自然と人と自分を上手に許せてきたのだと・・・
葉月さんの記事を読んでわかった。

それが出来なくては、きっと苦しい人生だったと思う。
そういう人も要るんだな・・・
と、漠然と感じた。

自分自身を許せなかったら、
もしもその人が、母親だったら。。。
本当に苦しいだろう。

「許す」

なんてことはどうでもいいと。。。
「必要としている人が居る」
自分が必要としていても、必要とされていても
どちらでもいい。
それだけでじゅうぶんだと。。。

それが、人と生きていくたった一つの条件なのだと。

そんな気持ちになりました。

□今日何となく考えたこと

上の記事。
夫に対して、大概酷い妻であるわたし。。。。
夫を許しているかというと・・・
夫自身がそれを求めていないので、
私自身も関係なく過ごしています。
夫は私の殻の中を覗かないし、見たくも無い模様。
だから、わたしも覗かず・・・聞かず。

それぐらいがいい距離みたいです。
そういう関係を、許しているのかな。。。?
お互いに。
(夫はどうだか知らんが;)

どうした!! hinaが突然!

お昼ごはん中に!!!
どうした!!!

zzzz 寝てたZZZZ

母乳を未だにやめられないhina・・・
こんなことはとても珍しいです(^^;

ちょっと可愛かったので、無理やり載せました☆

投稿者 さゆりん : 2005年10月10日 22:28

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コメント

自分が気づかないところで許されて、自分が気づかないところで相手を許してる??
そんな感じがしました。
わたしも今まで生きてきて、どーでもいいことで怒ったり怒られたりして
「許す!許さない!」ってのはあるけれど。。。
大きな意味での「許す」とかって考えたことなかったです。

でも、どんなことがあろうと、その人の本質が好きであれば、
きっとどんなことも「許す」んだろうなぁ。。。

わたしは、それが血の中に存在するのではないかと思いました。

親子って。。。どんなことがあっても親子。
キライになりたくてもキライになれない??
みたいな。。。。

あ~なんか、ヘンな文になって申し訳ないですぅ。。。

投稿者 viggo_eric : 2005年10月10日 23:13

さゆりんさん。こんばんは~★
私の書いた記事がきっかけで
誰かがまた新しくそこから記事を作ってくれるなんて経験が
本当に初めてなので、びっくりで戸惑ってます。汗汗汗。
恥ずかしくて、でも嬉しいな。エヘ。ありがとう。

さゆりんさんも、とってもいい人たちに恵まれて
いっぱい愛をもらったのね★
それはきっとさゆりんさんが自分で獲得した愛なのね。うん。

私はうつ病になって、自分がとことん嫌いになって
全然前向きになれなくて、どうせとかアタシなんかを連発したよ。笑
でも辛かった。
だって誰でも自分を自分で壊すなんてしたくないもんね・・・。
なのにどうしようもなく悲しい思い出や苦しみがまとわりついて
最終的には「自分がダメだからだ」って結論に至って、落ちてしまった。
本当に残酷な病だなって思います。
一人でも、ほんの少しの休息でもいいから
楽になって欲しい、なんて思いながら書いた記事でした★
だからなんだか偉そうで、微妙な記事だったのだけれど
こうしてさゆりんさんの心に何かが届いたというのは
どんなコメントよりも嬉しいことです、本当にありがとう★

あ、ミメイさんのお題でたよ!
難しそうよ~。汗汗汗。
また一緒にがんばろうね★

投稿者 葉月 萩 : 2005年10月11日 01:11

許すっていう言葉ひとつで深く考えさせられました^^

私の中で、広い意味での許すっていうのは、受け入れるっていう意味。
普段生活していてもよく必要になる"許す”。

狭い意味での許すは、ケンカして、どうしても許せなくて忘れられない出来事があったとして、それでも許すという事。

どっちの許すも時には努力が必要だったり時には簡単に自然に出来ていたり。

自分が許されている、受け入れられているって気づくと幸せ感じますね(@^∇^@)

投稿者 あい : 2005年10月11日 15:15

viggo_ericさんへ

親子は本当にそうですよね☆
許しあわなきゃやってられない。。。
自然とそうなるのが、「血に愛が流れてる」
って、思っちゃいますね。

友人でも、どこまで許すかを自分で決めてしまったら、その中でしか友達でいられない気もしました。
「許す★許さない」なんて、たいした事ではなくて、
相手をどこまで信頼するか。。。だなと。
それが、許容なのかな???
なんて思いましたね。

葉月さんへ

こんばんは★
葉月さんの記事を見て、私の傲慢さを感じたんです。
「自分がダメ」って、私も感じてきたけど
いつも誰かに許してもらってきたから、それを肌で感じてきたから
「ダメ」からの出発が出来たんだな。。。
って。
もしも許されること無く、攻められたり無視されて育ってきたら・・・
私も「自分がダメ」からは、とても切り抜けられなかったんじゃないかと。。。

私の友達に、友人関係がいつも「喧嘩別れ」
で終る子がいました。
彼女は許容範囲を自分で決めて、いつもその中でだけ友達を許してきたんです。
そこを少しでも越えると、激怒して友人が一人ずつ消えてしまって・・・。
結婚する頃には、自分の身近な人は旦那様と私だけになってしまってました。
そして、私も彼女の怒りには触れなかったけど、やっぱり疎遠になりました。
彼女には学生時代の友達が一人もいないんです。
私は「何があっても信頼する」という
友達が何人かいて、その人たちの存在だけで救われていると思うことがしばしば。。。
それは、私自身が友達を事前に許してるってことで、
すごい安心感があるんです。
でも、彼女は最初から誰も信頼しないで
事前に許さないラインを作ってる。
誰も彼女の友達にはなれないんです。
それでも、私が彼女の怒りに触れないように
友人でいるのは、私の勝手な奢りのような気がして。。。

誰もが初めから許されている存在なのだということを、友人や葉月さんに伝えたくて・・・
これも、私の勝手な奢りなんですけどね^^;
私は葉月さんが大好きなので、
何があっても、その才能や優しさを信じてますよ。
だから、「あたしなんか。。」って感じたら
思い出してくださいね♪

あいさんへ

あいさんはすごいな~★
私が捜してた言葉を、バシッと言い当てる!
「受け入れる」って、まさにそう!

子供たちのやんちゃさも、好奇心も受け入れるから、叱れるし許せるんですよね☆
受け入れられる自信が無かったら、とっても叱れないって思いました。
叱ったが最後、もう許せませんもんね。
「これをやってみたかったのね、でも危ないから一人でやっちゃダメなのよ。」
って、受け入れながら諭していく。
この記事を書いたら、少し母親として方向性が確かになった気がしましたよ♪
たまには、深く考えるのもいいです^^

投稿者 さゆりん : 2005年10月11日 21:35

だいぶ前に自分のblogで、とじこもりっていうの書いたんだけど、それを書いているときに
許す許さないって事をテーマに書いてみようかなって時があったよ。
結局書かなかったけどさ。ふと思い出したぁ。

わたしもきっと誰も許してない。
わたしの場合許せないって気持ちがだんだん
薄れていって、結果的に「許す」って気持ちに
なってることばっか。
怒りが爆発して許せないと思ったときに
気持ちを抑えて許したこと、もしかして
ないかもと思って、それを書きたかった。
一体、許すって言葉は存在するのかなぁって。
なんだかいつも時間まかせの結論だったかなぁって。

でも、そうすることで逃げて気持ちを落ち着けていたのかも。
ずっと考えているとおかしくなりそうだし。。。。。
それは受け入れてるってことになるかなぁ?

投稿者 ひろみ : 2005年10月12日 00:36

花は・・・子供を産んでから いつも人に謝ってたな。自分がママという存在を許してなかったのかもしれない。最近になって 深い谷に落ちてやっと、気づいたな。花には大切な人が沢山いるんだなと。そう花であるだけで許され存在しているだけで喜んでくれる人が沢山。気づかせてくれた、さゆりんがその一人。まだまだ頭の中が整理しきれてないけど いつも素敵な事を伝え気づかせてくれてありがとう。
うまく伝えられないけど さゆりんの言葉はいつも花に優しくとどく・・・

投稿者 : 2005年10月12日 11:28

ひろみへ

葉月さんの記事のコメントにも書いたんだけど、あたしにとってひろみの尊敬して、誰よりも好きなところがあるんだ。
「感謝の気持ちに対して、言い訳しない」
というところなんだけど。。。
ひろみの「ありがとう」は本当に気持ちいいんだよ♪

親切にしてもらったり、物をもらったりすると
なんか言い訳する習慣があるじゃない?
「ありがとう。」のあとに「ごめんねえ」
とか、「わるいよ~」とか。。。
ひろみにはそれがなくて、「ありがとう」
の言い切りなの★
それが気持ちよくて、その部分だけでひろみの全てが好きに感じる。

↑この場を借りての告白(?)

逃げるってのもあるね。
わたしは、そうやって明確に友達を好きなんだけど。。。
どうしても立場的に、感性的に分かり合えない相手もあるじゃない?
時間にも頼れなくて、許すことも認めることも出来ない相手。
これが苦しいと感じるな。
でも、いつもの解決法は「わすれない」
ってことにしてる。
もう、事実を認めて「忘れない」の。
憎んだり、恨んだりもしないし
許すわけでもないんだけど、
ただ、忘れないの。
そうすることで、自分を保っていると思う。
同じ相手に同じようなことをされたり、言われたりしても覚えてるから、
「傷はひとつ」ってことにしている。

花へ

結婚してからの花は、学生時代の花じゃないみたいだったよ。
でも、ママになってからの花を大好きになって、全部が花だと感じるようになった。
だから、花にあたし自身がどう見られても花が好きだなと思ったんだよ。

いつも謝ってる友達は花じゃないけど、花のごめんねとは違う性質に感じる。
花は本当に周りを大事にしていて、それで自分が傷ついてるよ。
誰も花に「ごめんね」って言葉を待ってないよ。
「ありがとう」で、じゅうぶんだよ。
花のありがとうは、本当に嬉しいよ♪

人間はいろんな部分があって当然。
花にも、あたしにもまだまだあると思う。
生きていってみなきゃ解らない事もいっぱい。
どんなに汚い部分が出たとしても、それは自分が認めた自分だったり、友人だったりするから、あたしは変わらないでいるよ。
変わらず、花を好きだし信頼してる。

生きてるだけで、じゅうぶん。

投稿者 さゆりん : 2005年10月12日 20:53

コメントを呼んで赤面しちゃった・・・・・・。
なんか恥ずかしくなって言葉が出てこないけど
ありがとうって素直に言えるのは、さゆりが
「してやった」「やってやった」っていう気持ちが
ないからだと思うよ。

「忘れない」
さゆりと解釈がちょっと違うかもしれないけど
あたしもそうだ。さゆりの場合は時間の解決も
無理なときみたいだけど、あたしの場合は
時間まかせの結論が「忘れない」で残るのかも。もちろん、気持ちが変わって許すというか
思い出?になってることもあるけどね。

投稿者 ひろみ : 2005年10月13日 00:35

ひろみへ

えー;
このコメント読んで、私が赤面;
でも、ありがとう♪

思い出。。。
いやな思い出だね。。。(TT)
私は、800字で鬱憤晴らそうかと~

投稿者 さゆりん : 2005年10月14日 18:59

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