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2006年1月 1日

新しい年、私の場所へ帰る決意☆

皆様、明けましておめでとうございます♪

大掃除が終わらなかった私です(TT);
23時にお飾りが出来上がるという始末。。。
いったい何をしていたんだか・・・;

DSC01977 お飾り。。。

幼稚園の最後のお手紙に、

「新年を迎えるに当たって、その準備を子供に手伝わせましょう。」

と書いてあった。
習慣を正しく受け継ごうみたいな事も。。。

「めんどくさいと感じるかもしれませんが。。。」

とも書いてあった。
世の中の母を知り尽くしてますな^^;

正直、ビデオでも見て大人しくしててくれと思ったけど・・・;
年明け、幼稚園で「お手伝いした人~?」
とかやられたら可哀想なので・・・。

DSC01971 拭き掃除。。。

出来そうな場所を探して、雑巾がけを手伝ってもらいました☆
そして褒める!
見てないところで、拭き直す。。。
母は気を使うなり。。。(TT);

そして、夜は23時過ぎまで無理やり起こしておいて。。。
年越しそばを。。。(って、ラーメンだけど。。。;)
一緒に食べる。

私は、こういうことを強制される家庭で育ったため、
未だに年越しの麺類を食べないと、本当に年が越せないと思い込んでいる節がある。。。;

hinaはすごい勢いでラーメン食べてたなあ。。。
寝息がにんにく臭いのが気になりつつ・・・;
今年最後の絵本を読んであげて、一瞬で眠りにつく。。。

そして、私は子供を見つめて昨年と今年を思う。

・・・・私は勘違いをしていたな。。。と。

結婚前、私は高くも低くもない風通しの良い宿木の一本あるような丘で
雲を眺めるように全ての現実を見続けていた。

19歳の失恋以降、ずっと。

そのわたしを、身近だった友達たちは「正直で冷たい」と言った。
それで私は満足だった。
その言葉すら、雲が流れるのを眺めるように心を行過ぎていったと思う。

結婚して、私はそれではいけないと思い込んだ。
思い込んだ理由は数あるけれど、やっぱり夫だったと思う。
夫の言葉が理解できないし、理解する必要があると信じた。

同じ場所に出て行って、私がその雲たちを手で掴むように生きていけば
その関係は変わると信じた。

街に出よう。

確信もなく、私は丘を降りて街に出た。
たくさんの出会いもあったし、たくさんの傷も負った。
それでも、夫の言葉は私にはわからないままだった。
そして、夫にも私の言葉は届かなかった。

そして、5年。
私は苦しくて、何もかもが嫌になった。
もう、限界だと感じている。

丘に戻ろう。

私の言葉が届かなくてもいいじゃないか。
彼の言葉が理解できなくても、風が吹いたように感じるだけでも。

丘にも雨が降り、雪も降る。
風も必ずしも優しくはない。

それでも私は雲が好き。

私が得ることができなかったもの、経験していない素晴らしい事柄
それを憧れるでもなく、真実として受けて。。。
ただ、眺めていよう。

全ての事柄が好きだったときに帰りたい。

もう、私の言葉が夫に届かなくてもいい。
努力は無駄ではないけど、幸せは別の場所にあった。

のんびり座って、彼の言葉を眺めよう。
それが雲であっても傷つくことはある。
雨になり、雷になり私に降りかかることも。
それでも、私には距離が必要だ。

諦めるのではなく、還りたい。

私が私を失うことの方が、私は怖い。

「人間味がない」

と夫は言う。

これ確かに。

それでも、私はその生き方が好きだ。
人間味は私の中にある。

街に出ても、昔失った恋を今でも想う時。
何も手を貸して上げられない友達に涙する時。。。

私はいつも丘に還っていたと思う。

私の中の人間味は、あの丘の風にある。

そこに帰って、少し休みたい。
ずっとそのままかもしれないけど、今はもう街に居られない。
自分を失いすぎた。

大晦日を最後に、私は街を出て
街に居る夫を丘から眺めることにする。

もしかしたら、これが最善の夫婦の図かもしれない。
私たちにとっては。。。

街で育った夫。

丘で生まれた私。

19歳以前の出会いであれば、街で出会えたかもしれない。
でも、もう10年も前のこと。
そこに帰ることはもうできない。

辛抱足りなくてすいません。

丘から見た夫は、働き者で活気ある成人男子であろう。
それだけで、もうじゅうぶんだ。

だから、私は丘に還り空を見る。

今年が穏やかな年になるように。

皆様にも、新しい年がより素晴らしいものでありますように。
いつも心から願っております。。。

こんな浮世な私ですが、今年もよろしくお願い致しますm(__)m

投稿者 さゆりん : 01:09 | コメント (5) | トラックバック